
プラトンの著作を原典から超・現代語訳しました。
【登場人物】
ソクラテス:いつもの主人公。
ヒッポクラテス:血気盛んな若者。プロタゴラスに弟子入りしたくてたまらない。
プロタゴラス:当時最高額の授業料を取る超有名ソフィスト。
夜明け前の大騒ぎ
(まだ夜も明けない早朝、ソクラテスの家のドアが激しく叩かれる)
ヒッポクラテス: ソクラテスさん! 起きてください!
ソクラテス: なんだ、ヒッポクラテスか。こんな時間に……何か悪い知らせでもあったのか?
ヒッポクラテス: いえ、最高の知らせです! プロタゴラスがアテナイに来たんです! おととい着いたらしいんですが、昨日それを知って……もう居ても立ってもいられなくて。
ソクラテス: それで、夜明け前に叩き起こしに来たわけか(笑)。彼は逃げやしないよ。
ヒッポクラテス: お願いです、彼に紹介状を書いてください! 授業料ならいくらでも払います。彼に弟子入りして、僕も知恵のある人間になりたいんです!
ソクラテスの警告「心の健康診断」
(ソクラテスは、興奮する若者を落ち着かせるために少し散歩に誘う)
ソクラテス: まあ待て、明るくなるまでここで話そう。君はプロタゴラスにお金を払って「知恵」を買おうとしているけれど、そもそも「ソフィスト(知恵を売る人)」が何を売っているか分かっているのかい?
ヒッポクラテス: ええと……「言葉を巧みに操る技術」でしょうか。
ソクラテス: 食べ物を買う時は、体に悪いものなら捨てればいい。でも、「知識」という食べ物は、買った瞬間に魂の中に入ってしまうんだ。 もしそれが毒だったら、取り返しがつかない。
プロタゴラスという商人が「これは魂に良いものです」と言って売っているものが、本当に健康にいいのかどうか。君はそれを確かめずに、自分の一番大事な「魂」を預けようとしているんだよ。
豪華スター勢揃いのカリアス邸
(夜が明け、二人はプロタゴラスが宿泊している大富豪カリアスの屋敷へ向かう。そこはまるで「知のEXPO」のような状態だった)
門番: (うんざりした顔で)またソフィストか! 主人は忙しいんだ、帰れ!
ソクラテス: 待ってくれ、私たちはソフィストじゃない。プロタゴラス氏に会いに来ただけだ。
(門が開き、中に入ると異様な光景が広がっていた)
- 光景A: 廊下ではプロタゴラスが、取り巻きたちを引き連れて歩きながら演説している。彼がターンするたびに、後ろの集団が整然と道を空けて左右に分かれる様子は、まるでダンスのようだ。
- 光景B: 別の場所では、学者のヒッピアスが椅子に座って、天文学や自然科学の質問に答えている。
- 光景C: さらに別の部屋では、若手スターのプロディコスが、毛布にくるまったまま低い声で「言葉の厳密な定義」について語っている。
プロタゴラスとの対面
ソクラテス: プロタゴラスさん、こちらにいるヒッポクラテス君が、あなたの弟子になりたいと言っているのですが。
プロタゴラス: (自信たっぷりに)よく来たね、若者よ。私のところに来れば、他のソフィストのように計算や天文学といった「余計な回り道」はさせない。初日から「より良く生きるための技術(政治的技術)」を教えて、君を立派な市民にしてあげよう。
ソクラテス: ほう。それは素晴らしい。でも……プロタゴラスさん。そもそも、そんな「徳(立派さ)」なんていうものが、本当に他人に教えられるものなのでしょうか?
(プロタゴラスの壮大なプレゼンテーションが始まります)
プロタゴラス: ソクラテス君、君の疑問に答えよう。言葉で理詰めに説明してもいいが、まずはひとつ「物語(神話)」として話して聞かせるのが、君たち若者にはわかりやすいだろう。
プロメテウスの神話
プロタゴラス: 昔々、神々が生き物を作った時のことだ。エピメテウスとプロメテウスという兄弟が、生き物たちに生きるための「能力」を配分する役目を任された。
エピメテウスは、ある動物には「速さ」を、ある動物には「鋭い爪」を、あるものには「空を飛ぶ翼」を与えた。ところが、うっかり者の彼は、最後の人間の番になる前にすべての能力を配り切ってしまったんだ。
おかげで人間だけが、裸で、靴もなく、武器もない無力な姿で残されてしまった。それを見かねた兄のプロメテウスは、ヘパイストスとアテナの元から「火」と「技術」を盗み出し、人間に与えた。これで人間は最低限食べていく知恵を得たが、まだ「政治の知恵(共に生きる技術)」は持っていなかった。
人間は猛獣に襲われないよう集まって町を作ろうとしたが、集まれば今度は互いに傷つけ合い、バラバラになって死んでいった。これを見たゼウスは、人類が滅びるのを心配し、伝令使ヘルメスにこう命じた。
「人間に『正義』と『慎み(羞恥心)』を配れ。これを社会のルールとし、すべての人に平等に分け与えるのだ。これを持たない者は、社会の病として死刑にせよ」
プロタゴラス: ほら、ソクラテス。だから政治や徳の話になると、専門家ではなく「すべての市民」が意見を言う権利があるんだ。なぜなら、徳はすべての人の中に備わっているはずのものだからだよ。
「徳」は教育の結果である
プロタゴラス: 君は「徳は教えられない」と言うが、考えてもみたまえ。
誰かが不運にも不細工だったり病弱だったりしても、人はそれを責めない。それは「天性」だからだ。だが、誰かが「不正」をしたり「卑怯」だったりすれば、みんな怒り、罰を与えるだろう?
なぜ罰を与えるのか。それは、「徳は訓練と教育によって後から身につくものだ」とみんなが信じているからだ。 罰は見せしめであり、教育の一種なんだよ。
子供の頃を思い出してごらん。親も、乳母も、教師も、一日中「これは正しい」「あれは汚らわしい」と教え続ける。学校へ行けば詩人の立派な教訓を覚えさせ、楽器や体育を通じて心の調和を教える。さらに大人になれば、国家の「法律」が教育の代わりをする。
プロタゴラス: 立派な親の息子がダメな奴になることもある。でもそれは、才能の差であって「教育が効かない」証拠じゃない。笛吹き名人の息子が、必ずしも名人になるとは限らないのと同じだ。だが、文明社会で教育を受けた「悪人」だって、教育を一切受けなかった野蛮人に比べれば、はるかに正義を知っているはずだよ。
だからソクラテス、私は確信している。徳は教えられるし、私はそれを教えるプロフェッショナルなのだ。
(プロタゴラスが話し終えると、聴衆はうっとりと静まり返っています。ソクラテスが沈黙を破ります)
ソクラテス: いやはやプロタゴラスさん、実に素晴らしい。これほど見事な演説は聞いたことがありません。……ただ、これだけ壮大な話を聞いた後で、たった一つだけ、小さなことを聞き忘れてしまいまして。
プロタゴラス: ほう、何かな? 遠慮なく聞いてくれたまえ。
ソクラテス: あなたは「徳(人間としての立派さ)」について語られました。そして、正義、慎み、知恵、勇気、敬虔……これらはすべて「徳」の一部だと言いましたね。
そこで気になるのですが。これら「正義」や「知恵」といったものは、例えば「顔のパーツ(目、鼻、耳)」のように、それぞれ全く別々の役割を持ったものなのでしょうか? それとも、「金の塊」を切り分けた時のように、本質的には同じ一つものなのでしょうか?
プロタゴラス: それは簡単だ。前者の「顔のパーツ」と同じだよ。それぞれ独立した別の能力だ。だから、ある人は「勇気」はあるが「正義」がない、ということも起こり得る。
ソクラテス: なるほど。……では、少し考えてみてください。「正義」というものは、それ自体「正しい」ものですよね? そして「敬虔(神を敬う心)」も、それ自体「正しい」もののはずです。
そうなると、「正義」と「敬虔」は、見た目は違っても本質的には限りなく似たものになりませんか? むしろ、ほとんど「同じもの」と言ってもいいくらいに。
プロタゴラス: (少し不快そうに)まあ、どんなもの同士でも、探せばどこかに似ている部分はあるものだよ。「白」と「黒」だって、全く違うが「色である」という点では似ているだろう。だからといって同じものとは言えない。
ソクラテス: (食い下がります)では「知恵」と「節制」はどうでしょう。物事を「正しく判断して行動する」という点では、この二つは同じ一つの力ではありませんか? 反対に、何も考えずに暴走するのは「無知」であり「無節制」ですよね。一つのものには、一つの反対語しかないはず。だとしたら、知恵と節制も同じものではありませんか?
プロタゴラス: ……(言葉に詰まりながら)まあ、そう言えなくもないが……。
ソクラテス: さらに「正義」と「節制」はどうです? 不正を働くことが「節制(わきまえ)」のある行動だなんて、あなたほどの知恵者なら言いませんよね?
プロタゴラス: (イライラが頂点に達して)ソクラテス、君の議論は強引すぎる! 物事には「有益」な面もあれば「有害」な面もあるんだ。例えば、オリーブオイルは人間が飲むと有害だが、植物には有益だし、動物の毛に塗れば良い効果がある。物事はそんなに単純に「一つだ」なんて言えるもんじゃないんだよ!
(プロタゴラスが怒濤の勢いで別の話をまくし立て、聴衆から「そうだそうだ!」とヤジが飛びます)
ソクラテス: おっと、困りましたね。私は物覚えが悪いので、そんなに長く喋られると最初の話を忘れてしまいます。対話を続けるなら、どうか私に合わせて、もっと短く、簡潔に答えていただけませんか?
(プロタゴラスが「自分の好きなスタイルで喋らせろ」と主張し、対話が中断しかけます)
ソクラテス: プロタゴラスさん、あなたは短く答えることも、長く演説することもできる自由自在な方だ。でも私は、長い話を聞くと中身を忘れてしまう。対話(やり取り)をしたいなら、私に合わせて短く話してくれないと困る。……それができないなら、私はこれで失礼するよ。
(ソクラテスは本当に立ち上がって帰ろうとします。会場は大慌て!)
カリアス(屋敷の主人): 待ってくれソクラテス! せっかくこれだけの顔ぶれが揃ったんだ。君が帰ったら台無しだ。
アルキビアデス(ソクラテスの熱烈な信奉者): カリアス、それは不公平だ。プロタゴラスは「演説」が得意だと言い、ソクラテスは「対話」を求めている。プロタゴラスともあろう者が、ソクラテスの短い質問に答えられないなんてことはないだろう?
ヒッピアス(学者): 皆さん、落ち着きましょう。私たちは知を愛する者同士、親戚のようなものです。間を取って、誰かに「司会進行(審判)」を任せてはどうでしょう?
ソクラテス: 審判なんていりませんよ。誰かがプロタゴラスさんより上の立場に立つなんて失礼でしょう。よし、こうしましょう。今度はプロタゴラスさんが「質問者」になってください。私は短く答える役に回ります。それが終わったら、また私が質問する番に戻る。これでどうです?
詩の解釈バトル開始
(プロタゴラスは渋々承諾し、ソクラテスをやり込めるために「詩の解釈」という土俵を選びます)
プロタゴラス: よかろう。では、シモニデスという詩人のこの歌について聞こう。彼は「真に立派な人間になるのは難しい」と言っておきながら、数行後では「立派であり続けるのは難しいと言ったピッタコスを批判」している。これ、矛盾していると思わないか? 自分で「難しい」と言いながら、他人が「難しい」と言うのを怒っているんだから。
聴衆: (「おお、プロタゴラスの一本だ!」と拍手喝采)
ソクラテス: (内心焦りつつも)いやいや、プロタゴラスさん。それは言葉の使い方の違いですよ。「なること(being)」と「あり続けること(staying)」は別物だ。例えば、健康になるのは難しいけれど、健康なまま過ごすのはもっと難しい……いや、逆かな? とにかく、詩人は「一度立派な人間になる(到達する)のは不可能ではないが、神様でもない限り、完璧な状態を維持し続けるのは無理だ」と言いたいんです。
(ソクラテスは、わざとこじつけのような高度な屁理屈や、言葉の定義の細かな違いを持ち出して、シモニデスの詩を「ソクラテス的哲学」として解釈し直してしまいます)
ソクラテス: ……まあ、詩の解釈なんて、居酒屋で自分の声の代わりに他人の歌(笛)を流しているようなものです。いい大人が他人の言葉を借りて議論するのはもうやめましょう。プロタゴラスさん、あなたの考えを、あなたの言葉で、さっきの「徳」の話の続きから聞かせてください。
(ソクラテスは、再びプロタゴラスに「徳のパーツ」の話をぶつけます)
ソクラテス: さて、プロタゴラスさん。話を戻しましょう。あなたは「知恵・節制・正義・敬虔・勇気」の5つのうち、最初の4つは似ているけれど、「勇気」だけは他のものと全く別物だと言いましたね。「知識がなくても、無鉄砲で勇気がある奴はいくらでもいる」と。
プロタゴラス: その通りだ。
ソクラテス: では、こういうのはどうでしょう。人はよく「快楽に負けて、悪いとわかっていることをしてしまう」と言いますよね。美味しいものを食べすぎて体を壊すとか。これを世間では「自分に打ち勝てない」と言います。
プロタゴラス: よくある話だね。
ソクラテス: でも、よく考えてみてください。なぜそれを「悪い」と言うのか。それは、その瞬間の「快楽」よりも、後でやってくる「苦痛(病気や貧乏)」の方が大きいからですよね? つまり、これは「計算ミス」なんです。
プロタゴラス: 計算ミス?
ソクラテス: そうです。遠くにあるものが小さく見えるように、未来の苦痛を小さく見積もり、目の前の快楽を大きく見積もってしまった。
もし、どの行動が一番「苦痛が少なくて快楽が多いか」を正確に測る「計量術(計算の知恵)」があれば、人はわざわざ自分に損になるような(悪い)ことは選ばないはずです。
つまり、「誘惑に負ける」と言われている現象の正体は、実はただの「無知」なんですよ。
プロタゴラス: ……(反論したいが、論理の美しさに黙らざるを得ない)。
ソクラテス: では「勇気」についても同じことが言えます。
「恐ろしいもの」に向かっていくのが勇気ではありません。何が本当に恐れるべきことで、何が恐れるに足らないことか。それを正しく判断できるのが「勇気」です。
逆に、無知な者は「恐れるべきでないもの」を恐れ、「本当に恐ろしいもの(恥など)」を恐れません。
つまり、勇気の正体もまた「知識」であり、無鉄砲の正体は「無知」であるということになりませんか?
プロタゴラス: ……(小声で)そうなるだろうね。
ソクラテス: おや、プロタゴラスさん。あんなに「勇気は知識とは別物だ」と言い張っていたのに、結局「勇気も知識の一種だ」という結論になってしまいましたよ。
(議論が終わり、静まり返る会場。ソクラテスがふと我に返り、今の状況の「おかしさ」を笑い飛ばします)
ソクラテス: さあ、プロタゴラスさん。今の私たちの議論を振り返ってみると、なんだか滑稽なことになっていますね。もし議論そのものが擬人化されて口を開いたとしたら、きっと私たちを指差してこう笑うでしょう。
「お前たちは一体何をやっているんだ!」……とね。
プロタゴラス: ……どういう意味だい?
ソクラテス: 考えてもみてください。
最初は、私が「徳(立派さ)なんて教えられるはずがない」と言い張り、あなたが「いや、教えられるものだ」と堂々と演説していた。
ところが、今の結論はどうでしょう。
私は、「徳の正体は『知識』だ」ということを必死に証明してしまいました。もし「徳が知識」なのだとしたら、それは数学のように「教えられるもの」だということになります。つまり、私はいつの間にか、自分の最初の意見を全力で否定して、あなたの「教えられる」という立場を応援してしまったわけです。
プロタゴラス: ……(苦笑い)。
ソクラテス: 反対に、あなたは「徳は教えられる」と言っていたのに、今の議論では「徳は知識とは別物だ」と言いたげでした。もし知識でないなら、それは教えようがない。つまり、あなたもまた、自分の商売の根拠(教えられること)を自分で壊してしまったことになります。
プロタゴラス: (感心したように)ソクラテス、君は本当に油断ならない男だ。そして、議論にかける情熱が凄まじい。
私は君を恨んだりしないよ。君は若いが、いずれ誰よりも知恵のある人物として名を馳せるだろう。……だが、今日はもう別の約束があってね。そろそろ失礼しなくてはならない。
ソクラテス: おっと、私もとっくに行く時間でした。あなたの素晴らしい考えをもっと掘り下げて、「徳とは何か」の正体を突き止めたかったのですが、それはまた今度にしましょう。
(プロタゴラスは静かに去り、ソクラテスもまたカリアスの屋敷を後にします)
(『プロタゴラス』完)
あとがき
この対話篇の面白さは、最後に「ソクラテスとプロタゴラスの立場が逆転して終わる」という皮肉な構成にあります。
結局、答え(徳の定義)は出ませんでしたが、ソクラテスは「知恵(知識)」こそが人間を良くする唯一の鍵であるという確信を強めました。
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