慧磨録

英知を磨けるブログ運営を目指しております。note:https://note.com/keimaroku

『エウテュプロン』 プラトンを原典で読む

f:id:keimaroku:20260102130650j:image

プラトンの著作を原典から超・現代語訳しました。

 

【登場人物】

​ソクラテス:裁判を目前に控えた哲学者。知っているふりをする者に問いを投げかける。

​エウテュプロン:神事の専門家を自称する男。自分の正しさを微塵も疑っていない。

役所での意外な再会

​ソクラテス:おや、エウテュプロンじゃないか。君がこんな役所の近くにいるなんて珍しいね。まさか君も、私のように誰かに訴えられたのかい?

​エウテュプロン:いいえ、ソクラテスさん。私は訴えられたのではなく、訴える側としてここに来たのです。

​ソクラテス:ほう、それは穏やかじゃないな。一体誰を訴えるんだい?

​エウテュプロン:私の父親ですよ。

​ソクラテス:父親を! それは驚いた。よほど重大な事件なんだろうが、普通なら親を訴えるなんて「罰当たりだ」と世間から言われかねないことだ。君はよっぽど、自分が行っていることが「神の正義」に適っていると確信しているんだね。

​エウテュプロン:その通りです。世間の連中は神々のことを何もわかっちゃいない。私は神の法、すなわち「敬虔」というものを完璧に知っています。だからこそ、相手が親であっても、罪を犯したなら正義に従って訴える。それが神の御心なのです。

​「敬虔」の専門家に弟子入り

​ソクラテス:いやあ、それは心強い! 実は私は今、メレトスという男から「神に対する不敬」で訴えられているところなんだ。もし君のような神事の専門家が「敬虔とはこういうものだ」と教えてくれるなら、私は君の弟子になりたいくらいだよ。そうすれば、裁判官の前で「私はエウテュプロン先生から神の正義を学びました」と胸を張れる。

さあ教えてくれ。君がそれほど確信している「敬虔(神聖なこと)」、そしてその反対の「不敬」とは、一体どういうものなんだい?

​最初の答え「私が今やっていること」

​エウテュプロン:簡単ですよ。敬虔とは、私が今やっているように、殺人や神殿泥棒などの罪を犯した者がいれば、たとえ親兄弟であっても容赦なく告発することです。神話を見てください。最高神ゼウスだって、悪行を働いた自分の父親クロノスを縛り上げたではありませんか。それを真似る私が間違っているはずがありません。

​ソクラテス:エウテュプロン、君は本当にそんな神話を文字通り信じているのかい? ……まあいい、その話はまた今度にしよう。

私が知りたいのは、君が行っている「告発」という具体的な例ではないんだ。

世の中にはたくさんの「敬虔な行為」があるけれど、それらすべてに共通する、いわば「敬虔のモノサシ(本質)」は何だろうか? それさえわかれば、私は君の行動だけでなく、他のあらゆる行動が正しいかどうかを判断できるんだ。

​エウテュプロン:なるほど、本質を知りたいのですね。よろしい、お答えしましょう。

「神々に愛されるもの」が敬虔であり、「神々に嫌われるもの」が不敬なのです。

 

神々の喧嘩

​ソクラテス:エウテュプロン、君は「神々に愛されるものが敬虔だ」と言ったね。しかし、君自身の話によれば、神々だって互いに争ったり、敵対したりすることがあるんだろう?

​エウテュプロン:ええ、恐ろしいほどの争いがあると言われています。

​ソクラテス:神々が争う原因は何だろうか。例えば「3と5、どちらが大きいか」という計算なら、数えればすぐに解決するし、喧嘩にはならない。神々が激しく怒り、争うのは、きっと「何が正義で、何が美しく、何が善いことか」という、答えが一つに決まらない問題についてだろう?

​エウテュプロン:おっしゃる通りです。

​ソクラテス:だとしたら、ある神が「これは正しい(愛すべきだ)」と思うことを、別の神は「これは不正だ(憎むべきだ)」と思うこともあるはずだ。そうなると、同じ一つの行いが、ある神には愛され、別の神には嫌われることになる。……つまり、君の定義だと、同じことが「敬虔」であり、同時に「不敬」でもあるということになってしまわないかい?

​エウテュプロン:ううむ、確かに理屈ではそうなりますね。

​全ての神が愛するもの

​ソクラテス:では、少し定義を修正しよう。「一部の神ではなく、全ての神が揃って愛するもの」を敬虔と呼ぶことにしようか。これならどうだい?

​エウテュプロン:それこそが完璧な定義です! 全ての神が認めることこそが神聖なのです。

​エウテュプロンのジレンマ

​ソクラテス:よし、ではさらに踏み込んで考えてみよう。ここが一番大事なところだ。

「敬虔なものは、それが敬虔だから神々に愛されるのか」

それとも

「神々に愛されるから、それは敬虔になるのか」

どっちだと思う?

​エウテュプロン:……ええと、どういう意味でしょうか。

​ソクラテス:例えば「運ばれているもの」は、誰かがそれを「運んでいる」から、結果として「運ばれているもの」になるよね。それと同じで、神が何かを「愛している」から、それは「愛されるもの」になる。

では、君は「敬虔」についてどう思う? 敬虔な行いは、それ自体に何か立派な理由があるから、神様たちはそれを見て「おっ、これは敬虔だ、愛そう」と思うんじゃないのかい?

​エウテュプロン:そうです。敬虔だからこそ、神々に愛されるのです。

​ソクラテス:それなら、おかしなことになるぞ。

君は「敬虔だから愛される」と言った。でも「愛されるもの」は「愛されているから愛されるもの」だ。

つまり、「敬虔(愛される理由)」と「神に愛されている状態(結果)」は、全く別物だということになる。君は『敬虔とは何か』という本質を聞かれたのに、ただ『神々に愛されている』という、外側から起きた出来事を答えただけなんだよ。

​エウテュプロン:ソクラテスさん、弱りました。自分の考えを言葉にしようとすると、まるで生きている彫刻のように、どこかへ勝手に歩き去って逃げてしまうようです。

 

正義と敬虔の関係

​ソクラテス:エウテュプロン、君が困っているようなので、私からも少し手助けをしよう。こう考えてみてはどうかな。「敬虔(神聖なこと)」はすべて「正義」に含まれるけれど、「正義」のすべてが「敬虔」というわけではない。

例えば、正義という大きな円の中に、人間に対する正義と、神に対する正義があるとしよう。神に対する正義の部分こそが「敬虔」だとすれば、それは一体どんな「お世話」を指すんだろうか?

​エウテュプロン:それは、奴隷が主人に仕えるような、神々への「奉仕」のことですよ。

​神々への奉仕とは何か

​ソクラテス:仕える、か。でも、普通「お世話」というのは、相手をより良くするためにするものだよね。馬の世話をすれば馬は良くなるし、犬の世話をすれば犬は良くなる。では、人間が神の世話をすることで、神々が今より「良く」なるなんてことがあるのかい?

​エウテュプロン:とんでもない! 人間が神々を立派にするなんて、そんな不遜な意味ではありません。

​ソクラテス:では、どんな奉仕なんだい? 例えば建築家を助ける奉仕なら、家という「成果」が生まれる。神々の仕事をお手伝いするとして、その結果として生まれる「素晴らしい成果」とは何なのかな?

​エウテュプロン:それは……まあ、祈りと犠牲(お供え物)を捧げることによって、神々との良好な関係を保つこと。つまり、家庭や国家の平和を守ることですよ!

​神々との物々交換?

​ソクラテス:なるほど。つまり、神々に「捧げ物」をして、代わりに「祈り(願い)」を聞いてもらう。いわば、人間と神々の間の「物々交換(ビジネス)」のようなものだと?

​エウテュプロン:まあ、言葉は悪いですが、そういうことになります。

​ソクラテス:でも、不思議だね。神々に何かを差し上げると言っても、神々は完璧な存在だ。人間が何かをあげたところで、神々がそれで喜んで得をすることなんてあるのかい?

​エウテュプロン:利益を得るわけではありません。ただ、神々は人間からの「敬意」や「感謝」を、何よりも喜ばしいものとして受け取ってくださるのです。

​出発点への逆戻り

​ソクラテス:おや、今「喜ばしいもの」と言ったね。ということは、敬虔とは「神々に愛され、喜ばれるもの」だということになる。……エウテュプロン、これはさっき「それは本質ではない」として捨てたはずの答えじゃないか!

議論がぐるっと回って、また最初に戻ってしまったよ。さあ、もう一度やり直しだ。君が本当に知っていることを、出し惜しみせずに教えてくれ。

​エウテュプロン:(慌てて時計を見るふりをして)……ああ、ソクラテスさん! 申し訳ないが、急用を思い出しました。もう行かなくてはなりません。では、これで失礼します!

​ソクラテス:待ってくれ、エウテュプロン! 私をこのまま見捨てるのかい? 君から「神聖さ」の正体を教わって、メレトスの裁判を乗り切ろうと思っていたのに。君が行ってしまったら、私はこれからも「無知なまま」裁判に臨まなければならないじゃないか……。

 

​(『エウテュプロン』完)

 

​あとがき

​エウテュプロンは、最後はソクラテスの執拗な追求から逃げるように去っていきました。結局「敬虔とは何か」の答えは出ませんでしたが、ソクラテスは「神の意志を盾にして他人を裁く者の危うさ」を浮き彫りにしました。

この物語のすぐ後、ソクラテスは法廷に立ち、自分の生き方を弁明することになります。

※この記事はAmazonアソシエイト・プログラムに参加しており、紹介している商品が購入されることで、当ブログは収益(紹介料)を得ています。正規の規約に基づいた運営を行っております。