
プラトンの著作を原典から超・現代語訳しました。
【登場人物】
ソクラテス:無知を装いながら、相手を持ち上げて落とす達人。今回はヒッピアスを「万能の天才」と呼びまくる。
ヒッピアス:エレア出身の売れっ子ソフィスト。弁論術から歴史、手芸まで何でもできる自信家。自分の能力に絶対の疑いを持っていない。
お久しぶりの大先生
ソクラテス:やあ、美しくて賢いヒッピアス先生! アテナイに来られるのはずいぶん久しぶりじゃないですか。どうして最近、我々の街に顔を見せてくださらなかったのですか?
ヒッピアス:いやあソクラテス君、何しろ忙しくてね。私の故郷エリスが外国と交渉するときは、必ず私を指名してくるのだよ。私が一番、相手の言葉を正しく理解し、国の主張を伝えられると信頼されているからね。
特にスパルタとの交渉が多くて、何度も往復していたので、なかなかアテナイに来られなかったのだよ。
ソクラテス:なるほど! さすがは「真に知恵のある男」ですね。
個人の家庭教師として若者に立派な教養を授けて高額な報酬を得るだけでなく、公の場でも自分の国のために活躍できる。これこそが完璧な市民というものですよ。
昔の賢者たちは「世間知らず」?
ソクラテス:それにしても不思議ですね。昔の偉大な賢者たち、たとえばピッタコスやビアス、タレスといった人たちは、国政にはほとんど関わらなかったと言われています。
彼らは知恵があったはずなのに、あなたのように政治の世界で活躍しなかったのは、知恵が足りなかったからでしょうか?
ヒッピアス:ふふん、ソクラテス君。彼らの知恵が「弱かった」からだよ。彼らには、公の仕事と自分の仕事を両立させるだけの器用さがなかったのさ。
ソクラテス:なるほど! では、「知恵」というものも、工芸の技術と同じように進歩したわけですね。昔の彫刻家ダイダロスの作品は、今見ると古臭くて笑われてしまうそうですが、賢者たちも同じということですか。
ヒッピアス:まさにその通りだ。今の我々の技術に比べれば、昔の人なんて大したことないよ。もちろん、私は彼らをけなしたりはしないがね(笑)。
知恵の証拠は「稼いだ金額」
ソクラテス:素晴らしい。知恵が進歩した一番の証拠は、今のソフィストたちが「お金を稼ぐ」能力において、昔の人を圧倒していることでしょう。
かつてのアナクサゴラスという人は、遺産を放置してダメにしてしまったそうですが、あなたから見れば「知恵のない愚か者」に見えるでしょうね。
今の世の中、「知恵者たるもの、自分自身のために賢くなければ意味がない」というのが常識であり、その基準は「いかにお金を稼いだか」ですからね!
ヒッピアス:その通りだ、ソクラテス君。君はよく分かっているね。
自慢じゃないが、私がかつてシチリア島に行ったときのことだ。そこには大御所のプロタゴラスもいたのだが、私はまだ若かったにもかかわらず、短期間で彼を遥かに上回る大金を稼ぎ出したのだよ。
その金を持ち帰って父に見せたら、父も町の人々も腰を抜かして驚いていたよ。おそらく私は、他のソフィストを二人合わせたよりも多くの金を稼いでいるだろうね。
スパルタでは稼げない?
ソクラテス:いやあ、天晴れです! あなたの知恵が「本物」であり、お金という目に見える形で証明されていることに感動しました。
……ところで、あなたは先ほど「スパルタによく行く」と言っていましたよね? さぞかしスパルタでも、あなたの知恵で大金を稼いだのでしょうね?
ヒッピアス:……いや、実はスパルタでは一銭も稼いでいないのだ。
ソクラテス:えっ? それは妙ですね。あなたの知恵は、スパルタの若者たちを徳のある人間にすることはできないのですか?
ヒッピアス:まさか! 私には誰よりもその能力がある。
ソクラテス:では、スパルタの人々はお金を欲しがらないのでしょうか?
ヒッピアス:いやいや、彼らだって金は大好きだよ。
ソクラテス:おかしいですねぇ。
あなたは知恵があり、能力もあり、相手は金を欲しがっている。なのに、なぜスパルタでだけは、あなたの「素晴らしい商品(教育)」が売れないのでしょうか?
スパルタ人は「教育」を変えたくない
ソクラテス:ヒッピアス先生、不思議ですね。あなたがスパルタで稼げなかったのは、まさかスパルタの人たちが「自分たちの子供には、あなたより地元の先生の方が良い教育ができる」と判断したからではないでしょう?
ヒッピアス:とんでもない! 私の方が遥かによく教育できる。
ソクラテス:では、なぜあなたを雇わないのですか? スパルタは法律と秩序を重んじる国でしょう? 法律というものは、市民にとって「善いこと(利益)」をもたらすためにあるはずです。
もし、あなたが最高の教育を提供できるのに、法律がそれを禁止して、子供たちに最高の教育を受けさせないようにしているとしたら、その法律は「市民に害を与える悪い法律」ということになりませんか?
ヒッピアス:……まあ、厳密に言えばそうなりますね。
ソクラテス:ということは、スパルタ人は「法律を破ってでも、あなたに教育を頼むべき」だったのに、それをしなかった。つまり、彼らは法律の精神(善)に反する行動をとったことになりますね?
ヒッピアス:うーん、君の言う通りだと言っておこう。結局のところ、私を弁護してくれているわけだからね。
だが実際には、スパルタには「外国人の教育法を取り入れてはならない」という厳しい掟があってね。彼らは私がどんなに優れていても、先祖伝来の法律を変えることを嫌うのだよ。
スパルタ人が喜ぶ「おとぎ話」
ソクラテス:なるほど。では、あなたはスパルタで一体何をして過ごしていたのですか? 彼らはあなたの天文学や幾何学、あるいは詩の講義を聞きたがらなかったのでしょう?
ヒッピアス:ああ、彼らはそんな難しい話には興味がない。
彼らが喜んで聞くのは、「家系図」の話だとか、昔の英雄の物語、都市の設立にまつわる伝説……要するに「古いおとぎ話(アルカイオロギア)」だよ。だから私は、彼らのご機嫌を取るために、わざわざそれらの話を暗記して聞かせてやったのだ。
ソクラテス:はっはっは! それは大変でしたね。もしスパルタ人が「算数」を喜ぶ国民だったら、あなたは数字の羅列を暗記しなければならなかったでしょうから!
しかし、あなたは「万能の知恵」を持っているのに、スパルタではまるで「お婆ちゃんの昔話」をする係だったというわけですね。
「美しい」講義の宣伝
ヒッピアス:まあそう言うな、ソクラテス君。そのおかげで私はスパルタでも大人気だったのだから。
最近も、私は「美しい営み」について素晴らしい演説を作ったのだ。トロイア戦争の後、老賢者ネストルが若きネオプトレモスに対して、「若者はいかにして立派な名声を勝ち取るべきか」を説くという設定だ。
どうだ、素晴らしいだろう? 今度アテナイでも発表するから、君も聞きに来てくれたまえ。
ソクラテス:おや、「美しい営み」についての演説ですか。それはぜひ伺いたいですね。
……実はちょうどよかった。私は最近、ある厄介な男に質問攻めにされて困っていたのです。その男が私にこう聞いてきたんですよ。
「おいソクラテス、お前は演説が『美しい』とか『醜い』とか言うが、そもそも『美(美しいこと)』とは何なのか、分かって言っているのか?」とね。
面倒な「男」の正体
ソクラテス:私は答えに詰まってしまって、恥ずかしい思いをしました。
そこで神に誓ったのです。「今度、知恵のある人(あなたです!)に会ったら教えてもらって、その男に言い返してやろう」と。
ですからヒッピアス先生、あなたの素晴らしい演説を聞く前に、どうか私に「美とは何か」を教えていただけませんか? もちろん、私がその男に反論できるように、しっかりとした定義をお願いします。
ヒッピアス:はっはっは! お安い御用だ、ソクラテス君。そんな簡単な質問、私が持っている膨大な知識の中では、ゴミみたいなものだよ。
私が教えてあげれば、その男など二度と口がきけないように論破できるだろう。
ソクラテス:それは頼もしい! では、私がその「厄介な男」の役をやりますから、あなたが私に答えるつもりで練習に付き合ってください。
ヒッピアス:よかろう。かかってきたまえ。
最初の答え:「美」とは「美しい乙女」のことだ!
ソクラテス(男役):ではヒッピアス、私がその男になりきって聞こう。「おい、美とは何かと聞いているんだ。さっさと答えろ!」
……さあヒッピアス先生、あなたならどう答えますか?
ヒッピアス:やれやれ、うるさい男だ。いいだろう、彼にこう言ってやりたまえ。
「美とは、美しい乙女のことである」とね。
これなら誰も反論できないだろう? 世界中の誰だって、美しい女性は美しいと認めるからね。
ソクラテス:おお! なんと鮮やかで素晴らしい答えでしょう! これで私も論破されずに済みます。
……ですが、ちょっと待ってください。あの男はきっと、こうねちっこく聞いてくるはずです。
「美しい馬」や「美しい竪琴」はどうなる?
ソクラテス(男役):「ほう、美とは乙女のことか。じゃあソクラテス、美しい牝馬(メスウマ)はどうなんだ? 神託でも馬は美しいと褒められているが、あれは『美』ではないのか?」
ヒッピアス:なんだと? ……まあいい、馬だって美しいものは美しいと言ってよいだろう。私も立派な馬を持っているからね。
ソクラテス(男役):「では、美しい竪琴(たてごと)はどうだ? あれは美ではないのか?」
ヒッピアス:そりゃあ、美しい竪琴は美しいさ。
ソクラテス(男役):「ふむ。では聞くが、美しい土鍋(ツボ)はどうだ? 美しいツボは『美』ではないのか?」
「ツボ」なんて下品な例を出すな!
ヒッピアス:なっ……! ソクラテス君、なんだその下品な質問は! 哲学の議論の場に、台所で使うような汚い土鍋の話を持ち出すなんて、教養のない証拠だぞ!
ソクラテス:ええ、おっしゃる通りです。あの男はそういう、身なりの汚い粗野なやつなんですよ。でも、彼は答えを求めているんです。「立派に焼かれたツボは美しいのか、そうでないのか」と。
ヒッピアス:……まあ、素晴らしく上手に作られたツボなら、それは美しいと言えるだろう。だがね、馬や乙女のような高貴な美しさと、ツボなんかを一緒にしてはいけないよ。
比較の問題:「最も美しいサル」は醜い
ソクラテス:おや、雲行きが怪しくなってきましたよ。あの男はきっとこう言うでしょう。
「おいおい、お前は最初に『美とは美しい乙女のことだ』と言ったよな。でも今、『ツボも美しい』と認めた。
もし『美そのもの=乙女』なら、ツボは乙女じゃないから美しくないはずだ。でもツボも美しいということは、お前の定義は間違っているんじゃないか?」
ヒッピアス:へ理屈を言うな! ツボなんて、美しい乙女に比べれば、全く美しくないのだよ!
ソクラテス:そう! そこで男は、あのヘラクレイロスの言葉を持ち出します。
「最も美しいサルであっても、人間と比べれば醜い」
ヒッピアス先生、あなたの言う通り、ツボは乙女に比べれば醜い。
では、「美しい乙女」も、女神たちと比べれば醜いということになりませんか?
ヒッピアス:……それは、まあ、神々と比べれば人間など誰でも醜く見えるだろうが……それがどうしたというのだ?
「美そのもの」になっていない
ソクラテス:あの男は勝ち誇ってこう言うのです。
「見ろ! お前の言う『美しい乙女』とやらも、比べる相手によっては『醜い』ものになってしまうじゃないか。
私が聞いているのは、『ある時は美しく、ある時は醜いもの』のことではない。
いつ、どこで、何に付け加わっても、それを美しくあらしめる『美そのもの』とは何かと聞いているんだ!」
ソクラテス:……というわけでヒッピアス先生、「美しい乙女」という答えでは、あの男を納得させられないようです。もっと普遍的な、別の答えはありませんか?
第二の答え:美とは「黄金」である!
ヒッピアス:ソクラテス君、あの男が求めているのは「それを加えれば、どんな醜いものでも美しく飾れる魔法の材料」のことだろう?
答えは簡単だ。「黄金」だよ。
どんなものでも、黄金で装飾すれば美しくなる。これこそが「美そのもの」と言えるのではないかね?
ソクラテス:おお! ヒッピアス先生、それはまた豪華な答えですね!
……しかし、あの男はまた意地悪な質問をしてくるはずです。
フィディアスは下手くそなのか?
ソクラテス(男役):「おいソクラテス。もし黄金がすべてを美しくするものなら、あの偉大な彫刻家フィディアスは、アテナ女神像を作るときに、なぜ顔や手足を黄金で作らなかったんだ? 彼は目も皮膚も『象牙』で作ったし、目の中には『石』を埋め込んでいる。フィディアスは、黄金こそが最高に美しいということを知らない『無知な男』だったとでも言うのか?」
ヒッピアス:ふん、それは分かっていないな。象牙だって、その場に「ふさわしければ」美しいと言えるだろう。
「黄金」より「木」が美しい場合?
ソクラテス:おっと、ヒッピアス先生! 今、非常に重要なキーワードが出ましたね。「ふさわしい(プレポン)」。
あの男はそこを見逃しませんよ。
ソクラテス(男役):「ほう、ふさわしければ美しいのか。ではヒッピアス、さっきの『ツボ』の話をしよう。
美味しく煮えた豆のスープが入ったツボがある。これをかき混ぜるのに、『黄金のお玉』と『イチジクの木のお玉』、どちらが『ふさわしい』かな?
黄金のお玉でかき混ぜれば、ツボを割ってしまうかもしれないし、せっかくのスープを台無しにする。だが、木のお玉ならちょうどいい。
だとしたら、このスープにとっては、黄金よりも『木』の方が美(善)しいということにならないか?」
ヒッピアスの怒り
ヒッピアス:……ソクラテス君! 本当にその男は、そんな下らない、卑しい例えばかり出すのか! 黄金の話をしているときに「木のお玉」だなんて、あまりに下品すぎて返事をするのも馬鹿馬鹿しい。
ソクラテス:ええ、本当に困った男なんです。ですが、論理的にはどうでしょう?
「ふさわしいこと」が「美」であるなら、ある場合には黄金よりも「木」の方が美を形作ることになってしまいます。
ヒッピアス先生、あなたの言った「黄金こそが美だ」という定義も、どうやら崩れてしまったようですよ。
「適切さ」は魔法の粉か?
ソクラテス:ヒッピアス先生、あの男(私の分身)がこう提案してきました。
「よし、黄金がダメなら、さっきお前たちが言った『適切さ(プレポン)』こそが美の正体ではないか? これが加わることで、どんなものでも美しく見えるようになるのではないか?」と。
先生、どう思われますか?「適切であること」こそが「美」なのでしょうか。
ヒッピアス:うむ、ようやくまともな議論になってきたな。その通りだ。「適切さ」こそが、物を美しく見せるのだよ。
「見せかけ」か「真実」か
ソクラテス:ここで少し整理しましょう。その「適切さ」というのは、
「本当は美しくなくても、美しく『見せる』もの」ですか?
それとも、「そのものを本当に『美しくする』もの」ですか?
例えば、服の着こなしが「適切」であれば、不格好な人でも立派に見えますよね。これは「見せかけ」の美しさです。もし美が「見せかけ」だとしたら、それは「ペテン」になってしまいませんか?
ヒッピアス:いやいや、美しさとは人からそう見えることだ。適切であれば、実際に人から「美しい」と評価されるのだから、それで十分ではないかね。
誰の目にも明らかなはずなのに……
ソクラテス:もし「適切さ=美」で、それが物を本当に美しくするのなら、美しいものは誰の目にも等しく美しく見えるはずです。
しかし先生、現実はどうでしょう? 国家の間でも、個人の間でも、「何が美しいか(何が立派か)」については常に争いが絶えません。
もし「適切さ」が美の正体なら、もっとみんなの意見が一致してもいいはずですが、実際には一番意見が分かれるのが「美」や「善」についてではありませんか?
ヒッピアス:……まあ、言われてみれば、美についての議論はいつも紛糾するな。
第三の答え:美とは「役に立つこと」である!
ソクラテス:では、「適切さ」も少し横に置いておきましょう。次にあの男が提案してきたのは、もっと実用的な考え方です。
「美とは『有用なこと(役に立つこと)』である」
例えば、目。目が「美しい」と言われるのは、それが「見える」という機能を果たし、役に立っているからですよね? 逆に見えない目は、どんなに形が良くても「醜い(役に立たない)」と言われます。
ヒッピアス:おお! それだ、ソクラテス君! それこそが真理だ。
「能力(力)」があって、何かが「できる」こと。そしてそれが「役に立つ」こと。これこそが、人間にとっても道具にとっても最高の「美」というものだよ。
ソクラテス:なるほど。「能力があって、役に立つこと」が美であると。……でも先生、ちょっと待ってください。その「能力」が「悪いこと」に使われた場合、それも「美しい」と言えるのでしょうか?
「悪」に役立つ能力は美しいか?
ソクラテス:ヒッピアス先生、先ほど「能力があって役に立つこと」が美だと言いましたが、もう少し厳密に考えましょう。
例えば、泥棒が鮮やかに鍵を開ける「能力」や、詐欺師が人を騙すのに「役に立つ」弁論術。これらも、目的を達成する上では「有用」ですが……これらを「美しい」と呼んでもいいのでしょうか?
ヒッピアス:……いや、それは困るな。悪いことに使われる能力を「美しい」とは言いたくない。
「善」に役立つことこそが「美」である
ソクラテス:ですよね。となると、定義を修正しなければなりません。
単に役に立つだけでなく、「善い目的のために役に立つこと(有益であること)」。これこそが「美」の正体ではないでしょうか。
ヒッピアス:その通りだ! 今度こそ完璧な答えにたどり着いたぞ。
「親子」のような関係のワナ
ソクラテス:ですが、ここが落とし穴です。
もし「美」が「善」を生み出すための手段(有益なもの)だとしたら、「美」は「善」の原因であり、「善」は「美」の結果(子供)ということになりますね?
ヒッピアス:そうなりますね。
ソクラテス:しかし、考えてみてください。「父」は「子」ではありませんし、「子」も「父」ではありません。
もし「美」が「善の原因」なら、「美」そのものは「善」ではないということになってしまいます。同じように、「善」そのものも「美」ではないということになります。
……ヒッピアス先生、あなたは「美は善ではないし、善は美ではない」という結論を受け入れられますか?
ヒッピアス:……いや、とんでもない! それは絶対にあり得ない。美は善いものであるべきだし、善は美しいものであるべきだ。
振り出しに戻る絶望
ソクラテス:ああ、なんてことだ! 「役に立つのが美だ」という魅力的な説も、論理を突き詰めると「美と善は別物である」という、私たちの直感に反するおかしな結論を導き出してしまいました。
あの「厄介な男」がまた鼻で笑っていますよ。「お前たちは、まだ『美』が何なのか分かっていないようだな」と。
ヒッピアス:……ソクラテス君、君の議論はどうしていつもこう、細切れにしてバラバラにしてしまうんだ。全体を見れば、もっとシンプルに解決できるはずなのに!
第四の答え:美とは「視覚と聴覚の快楽」である!
ソクラテス:ヒッピアス先生、もう理屈っぽいのはやめましょう。あの男がまた笑う前に、こんなのはどうですか?
「美しいものとは、『視覚(目)』と『聴覚(耳)』を通じて私たちを楽しませてくれるものである」
例えば、美しい色や形をした絵画や彫刻、あるいは美しい歌声や音楽。これらはすべて、目か耳を通して「心地よさ」を与えてくれますよね。これを「美」と呼んではどうでしょう。
ヒッピアス:おお、ソクラテス君! 今度こそ正解だ。それなら誰にでもわかるし、文句の付けようがない。
なぜ「鼻」や「舌」は仲間外れなのか?
ソクラテス:ですが、あの男はこう意地悪を言ってくるでしょう。
「おい、なぜ『目』と『耳』だけなんだ? 美味しい料理の匂い(鼻)や、とろけるようなスイーツの味(舌)、あるいは性的な快感。これらも『心地よい』ものだが、これらを『美しい』とは言わないのか?」
ヒッピアス:……いや、それは「美しい」とは言わないな。「美味しい」とか「気持ちいい」とは言うが、公の場でそれらを「美しい(立派だ)」と呼ぶのは、ちょっと恥ずかしいし、滑稽に見えるよ。
ソクラテス:なるほど。つまり、「心地よさ」の中でも、特に目と耳によるものだけが「美しい」という特別扱いを受けているわけですね。
「バラバラ」なのに「一緒」という矛盾
ソクラテス:ここで非常に不思議なことが起きます。
「視覚による快楽」と「聴覚による快楽」。この二つは、全く別の感覚ですよね?
目で見る快楽は、耳で聞く快楽ではありません。
耳で聞く快楽は、目で見る快楽ではありません。
それなのに、私たちはこの両方をまとめて「美」と呼びます。
もし、この二つを「美」という一つの名前で呼ぶなら、その両方に共通する「何か」があるはずです。
それは「視覚であること」でもなければ「聴覚であること」でもありません(片方にしかない性質だから)。
ヒッピアス:……ふむ。両方に共通していて、かつ片方ずつにはない性質、ということかね?
数学のパズル:1+1は「一」ではない
ソクラテス:そうです。例えば、「私とあなた」は二人(偶数)ですが、私一人は一人(奇数)です。
しかし、「美」の場合はどうでしょう?
「視覚」が美しくて、「聴覚」も美しい。
もし、この二つが合わさった時だけ「美」になるのだとしたら、片方だけ(目だけ、あるいは耳だけ)では「美しくない」ことになってしまいます。
逆に、片方ずつが「美」を持っているなら、その「美」の正体は、視覚にも聴覚にも共通する「別の何か」でなければならない。
ヒッピアス:ソクラテス君、君の議論は細かすぎて、まるで糸をほぐしてズタズタにしているようだ! もっとガバッと、全体を大きく捉えられないのかね!
最後に残った「有益な快楽」
ソクラテス:ヒッピアス先生、視覚と聴覚の快楽がなぜ「美しい」のか、あの男を納得させる最後の答えはこれしかありません。
「それらの快楽は、ただ心地よいだけでなく、『最も無害で、最も善いもの(有益な快楽)』だからだ」と。
ヒッピアス:そうだ! それだ。これなら文句なかろう。
ソクラテス:……ですが先生、覚えていますか? さっき私たちは「有益である(善の原因である)ことは、善そのものとは別物だ」という結論に達しました。
ということは、この答えもまた「美と善を別々にしてしまう」という、あの矛盾の罠に逆戻りしてしまうのです。
ヒッピアスの爆発
ヒッピアス:もうたくさんだ、ソクラテス!
君のやっていることは、議論の削りカスをかき集めるような、無意味で細かい言葉遊びだ。
いいか、本当の「美」とか「価値」というのは、法廷や議会で立派な演説をして、聴衆を納得させ、自分や家族の身を守り、名声を得ることだ。
そんな細かな論理の糸に絡まって立ち往生するのではなく、そういう「大きな力」を身につけることこそが肝心なのだよ。君のようなやり方は、ただの愚か者の暇つぶしだ!
ソクラテスの孤独な嘆き
ソクラテス:ヒッピアス先生、あなたは幸せな人だ。何が立派で、何に価値があるのかを確信し、それで大金を稼いでいる。
しかし、私を見てください。私は神がかり的な不運に取り憑かれている。
私があなたに聞いたような話を他ですると、人々から馬鹿にされます。しかし、家へ帰れば、例の「あの男」――私の最も近い親類で、私と同じ家に住んでいる男――が私を待ち構えていて、棒で叩くような勢いで問い詰めてくるのです。
あの男の冷徹な一言
ソクラテス:私が今日、あなたから素晴らしいことを教わったと報告しても、彼はこう言うでしょう。
「おい、ソクラテス。お前は『美しい営み』について語ったようだが、そもそも『美そのもの』が何かも分かっていないのに、どうしてそれが美しいか醜いかを判断できるんだ? そんな状態で生きているより、死んだほうがマシだとは思わないか?」
ヒッピアス先生、今日の対話で私は一つだけ学んだことがあります。それは、ことわざにある通りの真実です。
「美しいものは、難しい」
(『大ヒッピアス』完)
あとがき
この対話篇は、結局「美とは何か」という問いに答えを出せないまま終わる「アポリア(行き止まり)」の作品です。
ヒッピアスは「美」を具体的な「物(黄金や乙女)」や「社会的成功(演説)」として捉えましたが、ソクラテスはそれらが「なぜ美しいと言えるのか」という根拠(本質)を求め続けました。
最後にソクラテスが言った「家で待っている男」とは、彼自身の「良心」や「理性」のこと。他人に褒められても、自分自身の理性が「お前はまだ分かっていない」と告げる限り、彼は探求をやめることができません。
「美しいものは難しい」。
これは単に「美の定義は難しい」という意味だけでなく、「価値あるものを手に入れるための道は、険しく困難である」という、プラトンの哲学的な決意表明でもあります。
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